2016年08月02日

ヤマハのTXシリーズでバッハ

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前記事、MとヤマハのTXシリーズと同じく、1999年頃にYAMAHA TX802とTX81Zを用いて作った音ファイルをUPしておきます。今回のはJ.S.バッハ、「フーガの技法」の中の一曲。

「フーガの技法」については↓のリンクを参照して下さい。
Bach Art of Fugue -google検索

 15年以上前の録音なので、今の自分だったら絶対にこうはしないだろうという個所が多々含まれてるのですが、前記事の仲間という事で、これもついでに晒しておきます。いろいろダメ過ぎて、聴いてるとイライラしてくる。なだけに、いつかちゃんとしたのを録り直したいという気持ちも湧いてくる(という効果があるといえなくもない感じ的)。録り直したのの出来が良ければ、これは消しちゃいますし。

 前記事のはTX802とTX81Z、それとKORG Prophecyを一個所だけ用いたと記憶してたのですが、聴き返してるうち、TG77のエレピの音も使ってたかもという気がしてきました。1曲目のとか。
 今回のは、TXシリーズ2台のみだと思います。だけどやっぱりProphecyも混ざってるかも。記録が何も残ってないのでよく分かりません。まあ分からなくたって困らないですけど。

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2015年04月19日

"M"とヤマハのTXシリーズ

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デビット・ジッカレリ/David Zicarelliと他数名によって開発された、Mというソフト・ウェアがあります。概要は↓のリンク先を参照して下さい。
M Interactive Composer....

 このソフトと、ヤマハのFMシンセ音源モジュールのTXシリーズを組合せ、1999年に録音したファイルを4つ、ここに置いておきます。TXシリーズについてもリンクを;
ヤマハ・TXシリーズ -wiki

 約15年前のもので、細かいデータなど何も残ってません。2曲目のサックス風の音色だけはKORG Prophecyで、それ以外は全てYAMAHA TX802とTX81Zだったはずです。





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2012年03月23日

Beethoven/String Qurtet No.6 Op.18/6
@RolandのPCMシンセ

 1990年代の終わり頃に作ったクラシック曲のMIDIデータ、AKAI CD3000XL用に作ったピアノ・ソナタの他に、こんなのもありました。アカイのデータを引っ張り出すついでに過去の持ち物整理をしてたら発掘。ピアノ・ソナタと比べ、出来は更に劣るんだけど、ついでだからUPしておきます。

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第1楽章

第2楽章

第3楽章

第4楽章

第4楽章の、Allegrettoになってからの88小節目、チェロのソロ部分。音程を打ち間違えてますわ(臨時記号の見落とし)。最悪だ。でも今さら直しようもないので、恥を忍んでこのままUP。 続きを読む

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2011年11月02日

午前4時頃の湾内クルーズ

1998年頃に私が作った曲です。全パート打ち込み。

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2011年03月04日

ギターを純正律風に調律する試み@タレガのラグリマ

 ギターは平均律の楽器です。なのでギターでコードを弾くと長短3度(およびその転回型である6度)が調子っぱずれで良い響きがしません。というか、ギターの3度は不快です。純正律の3度に比べ平均律のそれは、
・長3度は広すぎ
・短3度は狭すぎ
だからですね。

 ピアノも平均律の楽器ですが、ピアノの3度はギターと比べ多少はマシです。それは何故かという説明等々は後日、暇と気力があれば書くとして早速本題。

「クラシック・ギターを、出来るだけ純正律に近い調弦=<擬似>純正律に調弦してみるテスト」

 大曲や複雑な転調が含まれてる曲、また主要和音の構成音が開放弦ではないキーの曲などでは無理かも知れませんが、例えばF.TarregaのLagrima。この曲はちょっとの工夫で、3度の不快さを軽減出来る(可能性がある)ので、以下にその方法を説明します。


1.まず、いつも通りギターを平均律に調弦します。
2.次に、5弦を少しだけ高く、4弦を少しだけ低く調弦し直します。
3.運指は下記の譜面のものを用います。

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(↑クリックすると大きな画像が開きます)

 この譜面は(株)全音楽譜出版社・阿部保夫『タレガ名曲選集』から拝借しました。赤い数字の運指番号は、擬似純正律で弾くために私が作り変えた個所です。
 「5弦を少しだけ高く、4弦を少しだけ低く」というのは具体的に、どのくらい上げ下げすれば良いかというと、

・曲頭の、5弦7フレットのEと1弦4フレットのG#で作られる長10度(オクターブ+長3度)が純正音程になるまで5弦を上げる。
・曲頭2拍目の、4弦4フレットのF#と1弦5フレットのAで作られる短10度(オクターブ+短3度)が純正音程になるまで4弦を下げる。

です。それを例えば「セント数でいくつ」というような指定を出来たら良いのかも知れませんが、そういう事よりも、そもそもここで得ようとしてるのは純正音程なのだから、数字やメーターを用いなくとも耳で聴けば分かるだろうという話しです。ただ、10度は音程幅が広い分ちょっと合わせづらいので、

・5弦7フレットのハーモニクスのEと1弦4フレットのG#
・4弦12フレットのハーモニクスのDと1弦1フレットのF

を用いる等の工夫をした方が良いかも知れません。楽器によって倍音の出方は様々なので、合わせやすいポイントもそれぞれ違うのでありましょう。
 また、最近のチューナーには「純正3度ガイドマーク」というのが付いてたりするらしいので、

(例)

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YAMAHA TD-30M

希望小売価格 : 6,300円(税込)

マイク内蔵クリップで機動力抜群、管楽器や弦楽器に直接取り付けて使用できる、超小型軽量タイプ。純正長三度,純正短三度ガイドマーク付き。表示方法はLCD、オートパワーオフ機能搭載(約20分)。マイク内蔵クリップ(大、小)付き

こういう道具を利用するのも良いのかも知れません。


 以上、6本ある弦の内の2本の音程を少し上げ下げし、運指を一部変更。それでどういう効果が得られる(と予想される)かを図示したのが↓の譜面。

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 譜面をピンクと水色でマーキングしてあります。

・無色(ノーマーク)の部分は平均律、通常の調弦法で弾くのと変わらない部分。
・ピンクでマークした2音は、この<擬似>純正律調弦を行う事によって純正音程となる個所。
・水色は、この調弦法によって通常より更に協和度が下がる(調子っぱずれになってしまう)個所。

です。ギターは平均律に合わせたフレットが打ち込まれてる楽器ですから、平均律以外の音律に調律しようとすると、どうしても「あちらを立てればこちらが立たず」的な事態が生じる故、音程が合ってる部分と合ってない部分のデコボコが生じてしまいます。
 声やフレットレス弦楽器のような、音程を自由に作り出せる楽器ではなく、鍵盤楽器やフレット付き弦楽器などの予め音程が固定されてるタイプの楽器では、1曲内の全ての音程関係を純正にする事はもともと無理なのです。私が、このラグリマ用の調弦法を純正律<風>とか<擬似>純正律と呼んでるのには、そういう事情があるからです。

 フレット付き楽器だから完全な純正律は無理なのだとしても、こういう小細工をする事で、通常の調弦よりも更に不快な音程が生じてしまうのは本末転倒と思われるかも知れませんが、水色の部分は「小さな音で弾く」あるいは「音を長く伸ばさない」ようにすれば目立たないという逃げ道がある。ラグリマという曲の特徴は「連続10度の多用」という点にありますから、

☆曲内で多用される10度の多くが純正音程になる
☆曲頭および終止和音の10度(および3度)が純正音程になる

という点が、この<擬似>純正律調弦を行う事によって得られるメリット。

★平均律より劣る音程は小さく弾いたり短く切ったりして目立たせないようにする→そのためディナミークやアゴーギクの適用が制限される

という点はデメリット。この、メリットとデメリットのどちらを重視するか?あるいは妥協点を見出しうるか?そして最終的には、こういった試みから何らかの音楽的な有意義性を引き出せるかどうかが一番大切な事だと思うんですけど、それらは奏者個々の判断と技量に拠ります。興味のある人は実際に音を鳴らしてみてください。私が考案した調弦と運指より、さらに良い組合せ方があるかも知れません。ラグリマは、クラシック・ギターとしてはかなり簡単な曲なので、クラシック以外のジャンルの人にもおすすめ。エレキで弾いてもOKだと思います。


ちなみに;
私がこの調弦法を純正律<風>とか<擬似>純正律と呼ぶ理由はもう一つあります。垂直方向の音程のいくつかは純正音程になりますが、水平方向、つまりメロディー・ラインは平均律なんですね。ですから<擬似>純正律調弦で演奏すると、
「平均律で動くメロディー・ラインに純正音程の対声部が付きハーモニーが構成される」
という状態になります。人によっては、この点に大きな違和感を感じるかも知れません。

ちなみにの、その2;
ギターには「ハイ・ポジションに近づくほど音程の狂いが大きくなる」という問題がありますが、2枚目の画像(ピンクと水色でマーキングした譜面)は、その点を無視した机上論ですから、実際の演奏では、その時々に用いる楽器の状態によって理屈通りにならない個所も生じるであろうし、使用するギターに合わせた再調整も必要になるはずです。こんな事はギターを弾く人にとっては常識ですけど、一応注記。

ちなみにの、その3;
運指について
1.ホ長調部分の最後の和音の上声Eは、3弦8フレットのD#→Eという動きですから、1弦開放では音色の差がありすぎると考え3弦9フレットのEにしましたけど、1弦開放のEでも可です。オリジナルの運指が作曲者によるもので、それが1弦開放を指定してるなら、当然オリジナルを尊重するべき。
2.ホ短調部分5小節3拍目、4弦5フレットのGは、音程的には3弦開放の方が良いです。

ちなみにの、その4;
3度音程の事ばかり話題にしてますけど、その他の音程は?
・平均律の完全4度/完全5度は、純正律のそれとほぼ同じ。(誤差の範囲で、また実用的に)4度5度に関しては平均律=純正律と見なしてOK。
・2度(およびその転回型である7度)も純正音程に出来るならそうしたいものです(純正の長2度は平均律の長3度より協和度が高い)。現実的には無理な相談です。
・増4度……純正音程の増4度というものはありません。だからこその増4度です。

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2011/03/04追記;
純正律風タレガのラグリマをテスト録音してみました。

細かいナニは後回しで、とりあえず比較試聴。
・ノーマルなチューニングと運指
・擬似純正律風チューニングと私が改した運指
の2通り。どっちがどっちかというのは伏せておきます。

 DAW上でリバーブを深めに掛けてます。もちろんこんなにどっさり掛けるのは滑稽なんですけど、音の尻尾が伸びれば音律の違いも強調されるかと思いまして。



■2011年2月6日録音
■ギターは加納木魂 #30

■マイクはRCA BK-5B
■楽器とマイクの距離は約55cm

■リバーブはTC|Native Reverb Masterのプリセット・Church。
■Decay Time=3.0 secs. 続きを読む

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2010年07月12日

打ち込みデータ YAMAHA TG77とTX802のレイヤーでバッハの平均率

これは1998年頃に作った打ち込みデータです。J.S.BachのDAS WOHLTEMPERIERTE KLAVIER 1(平均律クラヴィーア曲集 第1巻)を、Fender Rohdesで演奏した感じをシミュレートするためのもの。

内容的には、今聴き直すとアレな部分も多々あるんですが、私自身が時たま聴きたくなる時があるので、ここにUPしておきます。

シーケンサーはVisionで、音源はYAMAHA TG77とTX802のレイヤー。

第8番・変ホ短調

第23番・ロ長調

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2010年03月04日

Teisco G.F.PU on Fender Stratcaster

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 これはモモカワ君の楽器です。ピックガードをアルミ製に、そしてリアPUをテスコのゴールド・フォイル(GF)に交換した改造ストラト。改造作業は私が担当しました。
 この改造は2つの点で「実に当を得た仕様」であると申せましょう。

1.ストラトのS-S-H改造というのは定番ですが、ハムとシングルの出力差がありすぎで使いづらい(と感じてる人もいるのではなかろうか?)。GF.PUはフェンダーのシングルよりかは出力が大きく、ハムよりは小さい。ですので出力差のバランスからするとS-S-GFという組合せはけっこう使いやすい。それにGFはシングルPUである。

2.テスコと言えばアルミ・ピックガード。ですのでアルミ・ピックガードを付けたストラトは、テスコのPUを載せるのにおあつらえ向き。

 テスコのPUは厚さが薄いので、ストラトのボディをほとんどザグらずに載せる事が出るのも良いですね。ネックが3点止めの、ティルト機能のあるストラトなら、ボディを全くザグらずに載せる事も可能。

 これはほんと、今までこういう改造をしてる人がいなかったのが不思議なくらい(いや、たぶんいないと思うんですけど)、合理性もあるし「テスコっぽさ」もある、ナイスな改造例ではございませんか。

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コントロールは1V/1Tなので、ポット穴が1つブランクになってます。
トレモロ・ユニットはウィルキンソン製に交換。

それで、肝心の音の方はどうかというと

録音時のセッティングを記録するのを忘れてしまったのでうろ憶えですが、
■収音マイクはAUDIX D-1(だったはず)
■アンプはYAMAHA YTA-25
■リードのPUがゴールド・フォイル
■バッキングはたぶんセンター
■リードの最初はクリーンですが、途中(13小節目)からはDanelectro CTO-1で軽く歪ませてます。

■2010年03月頃録音

 基本、「まともな楽器に載せたテスコのPUは、とてもまとも(というか素直な)音がする」ものです。それでもフロント・ポジションに置いた場合は(倍音の拾い方が変だからなのか)「錆びた鉄砲玉」的挙動を示す事も多いですけど、リア位置だと「ホントまとも、というか普通に使いやすい音」だなあと。しかし録音したものをよく聴き返してみると、とくに歪ませた方の音は(これはダノ CTO-1のキャラが加わってるという事もありますが)、

・低音域はワウ半止めみたいな音
・中域はカラスとカエルの合いの子みたいなケエケエ
・高域は耳に痛いけどシルキーでもあるかな?

というトッチラカリぶりが愉快である。そういうところがやっぱり「テスコらしい」のかなあ……

*)ダブル・ストップでギャーと潰れるのはCTO-1の特性です。

その他、このギターを弾いてみた感想としては;
・いわゆるカントリー・リックの類がちゃんと弾けたらいいのになと思った。
・私自身のストラトは弦テンション緩めにセットしてありますが、モモカワ君のは多少きつ目。PUのキャラ以前に、「テンション強目でないと出ない要素」が鳴ってるような気がする。自分のストラト、セッティングを見直そうかなー
・あるいはボディ材がアッシュだからこういう音になるのであろうか?それともイナーシャ・ブロックがスチールだから?ピックガードがアルミだから?

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2009年08月09日

長唄の弾き唄い

 三味線を弾きながら唄を唄う事を「弾き唄い」といいます。フォーク・ギターやピアノを弾きながら歌うのを「弾き語り」といいますが、それと同じ事で、要するに
「歌唱者自身が楽器の伴奏を行いながら歌を歌う事」
ですねなんてわざわざ説明するまでもないような、これは洋楽器を演奏する人にとっては、ある意味「やって当たり前」の演奏スタイルですし、長唄の演奏家にとっては、稽古の過程での「必須」のものでもあります。ところが私の周囲の三味線仲間に話しを聞いてみると、どうもこの「弾き唄い」をせずに三味線の稽古をしてる人が意外に多いようなのです。プロを目指してる人なら、さすがにそんな事はないのでしょうけど、「趣味として」三味線を稽古をしてる人の場合、弾き唄いはしてない事が多いみたいなのですね。
 もちろん、弾き唄いを「したくない」というのなら無理にでもする必要はないのかも知れませんし、「近所迷惑や家人の不評」等の事情があって気がひけるという人もいるのでしょうけれど、三味線は弾き唄いで稽古した方が楽しいに決まってる(と私は思う)ので、長唄の弾き唄いについて、ちょっと色々書いてみたいと思います。

*)ちなみに;
「稽古」には
・自分自身のための練習(曲を浚うとか)
・弟子に稽古を付ける
という二つの場合がありますが、私は素人ですから、他人に稽古を付ける立場にはありません。また私は、唄方ではなく三味線が専門です。ですのでこのページに書く内容は、
・三味線方が
・曲を浚う時のための弾き唄い
についての話しが中心となります。

ちなみにの2;
洋楽曲、あるいは洋楽風日本語歌曲を洋楽器で伴奏しながら歌う事に対しては、弾き語りという呼び方が定着してますが、長唄の場合は弾き唄い。それはなぜかというと、江戸期三味線音楽には色々なジャンル(流派)がありますが、それらは大まかに「語りもの」と「唄いもの」の二つに分類する事が出来ます。「語りもの」とは「浄瑠璃」の事であり、流派名でいうと
・義太夫・常磐津・清元・新内等々
がそれに当たります。「唄いもの」とは
・長唄・小唄・端唄等々
の事。それで、三味線を弾きながら歌唱する場合、
・語りもの→弾き語り
・唄いもの→弾き唄い
と呼び分けてます。

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確実に暗譜するための「弾き唄い」

 三味線音楽の諸流派のうち劇場音楽と呼ばれるもの、それは要するに歌舞伎や踊りの会の伴奏を務める長唄・義太夫・常磐津・清元等々の事ですが、これらの流派はほぼ全て、歌唱と楽器伴奏は分業制になってます。ですので劇場系三味線音楽の演奏家が、お客様の前で弾き唄い/弾き語りを披露するという事はまずありません。長唄の演奏家にとっての弾き唄いとは、基本的には「稽古のためのもの」であります(もちろん自分一人の楽しみのためにする事だってありますけど)。

小唄・端唄や地歌・箏曲などの室内音楽的な流派では、弾き唄いで人前に立つ(本番を勤める)のが基本。また、かつて義太夫が寄席に出演していた頃は、弾き語りで上演する場合もありました。

 ところで長唄とは器楽ではなく歌曲であり、三味線は唄の伴奏のために存する楽器です。前弾き(イントロ)や合方(間奏)など、器楽的な興味の対象となる部分も曲中に配置されてはいますが、三味線の役割、あるいはその存在意義の大半は「唄の伴奏を務めること」にありますので、三味線弾きが一人で稽古する時も、常に唄と三味線の関係を意識する必要があります。唄と三味線が組合わさった状態で稽古をしないなら、それは「長唄の稽古とは呼べない」とさえ言えるかと思います。そして、誰か親切な唄方さんが、自分の稽古のお相伴に唄ってくれるなんて事はあり得ませんから、三味線弾きが稽古をする時は、自分で弾き唄いをするしかないわけです。

 長唄は歌曲で三味線は伴奏役にすぎないというのは、いわば唄中心主義的な考え方で、三味線の役割を軽視しすぎてるように思われるかも知れませんが、長唄と三味線は不可分の関係にあると私は考えます。なぜなら長唄は、器楽ではなく歌曲、であるより更に以前に、歌舞伎舞踊のための伴奏音楽だからです。
 舞踊の伴奏音楽というのをカタカナ語で言い換えればダンス・ミュージックという事になりますが、そのダンス・ミュージックとは一般的に、リズム的な特徴を明示し、あるいはリズミカルなアクセントを強調するための機能(パート)を備えているものです。現代の洋楽系ポップスのダンス・ミュージックなら、ドラムやベースその他のリズム・セクションと呼ばれる楽器群が、そのリズム的な機能を受け持つのが一般的で、長唄の場合は三味線が、洋楽ポップスのリズム・セクションに相当する役割を担っています。ですので三味線は、長唄という音楽にとっては不可欠の存在なのです。
 なお長唄の演奏にはお囃子という打楽器群も加わりますが、これの受け持ってる役割は、洋楽のドラムのそれとはかなり性質の異なるものです。お囃子は、洋楽のリズム・セクションと同じものではありません。

 三味線弾きが「曲を浚う」、その目的は、もちろん技術的に難しい個所を弾けるよう練習するというのも多少はありますが、最も重要なのは「曲を暗譜する」事です。長唄一曲の演奏時間は、大体15〜30分くらいのものが多いと思いますが、本番はこれを全て暗譜で演奏しなくてはいけません。

それを1日に1曲だけ弾けば良いというのではなく、踊りの会の地方なら1日の内に何曲も弾くわけです。例外的に、新曲とか超稀曲の場合は譜を見ながら演奏する場合もあります。

 ですので三味線弾きにとっては、暗譜能力の良し悪しというのは非常に重要な問題です。そして、曲を暗譜するための最も確実な方法が「弾き唄い」なのです(と私は考えます)。弾き唄いをする事で、
・その曲の詞章(ことば)
・詞章に付けられた唄の「節」
・歌の節を伴奏するための三味線の「手」
この三つの要素を一揃いのものとして、この三つの要素の「組合わさり方」を記憶させていくわけです。

 前弾きや合方は唄のない部分ですから、三味線のみで音楽として成立するように、いわば器楽的に作られてる場合も多いので、この部分なら洋楽の曲を暗譜するための方法(何度も弾いたり聴いたりしてるうちに自然に憶えるとか、あるいは曲の構造をアナリーゼして、理詰めで把握していくとか)と同じやり方で暗譜するのも容易ですけど、唄の伴奏の方は、この部分の三味線の「手」だけを聴くと、それはとくに何の意味も成さないような、「際立った特徴のない音型」が連続してます。ですので、これを洋楽の方法で暗譜するのはとても大変です。しかも長唄一曲中の大部分は、その憶えにくい唄の伴奏部分なのですね。

 しかしその、長唄とは曲中の大部分が「際立った特徴のない」「憶えにくい」音型が連続してるものだとすると、それはずいぶん退屈で、つまらない音楽なのではないかという気がしてきますが、そして実際のところ長唄というものに馴染みのない大多数の現代人にとって、長唄とは
・何とも捉え所のない、
・どこが頭でどこが尻尾なのかの見当も付かない、
・要するに、すごく退屈な音楽。
なわけなんですけど、そう思われてしまうのも「やむなし」とせざるを得ない一面が、確かにあります。なぜ「やむなし」かというと、長唄の曲中の大部分が「際立った特徴のない音型の連続」であるのは、長唄の作曲法の特徴から、どうしてもそうなってしまう事なので、むしろ長唄が退屈なのは、長唄の音楽的な特徴(構造)に起因する一つの特性である、とさえ言えるのかも知れません。

長唄が「際立った特徴のない音型の連続」で成り立ってる理由にはもう一つ、やはりこれは「舞踊のための伴奏音楽」である事も大きく関係してると私は考えますが、この件について色々書き出すと本題から大きく逸脱しすぎるので、いずれ別項にて。
また、現代人にとって長唄が退屈なものになってしまったのは「洋楽の影響」も大きな原因としてあると考えられます。洋楽というのは基本的に「分かりやすさ」を重視する音楽なので、これに馴染んでしまった日本人に長唄が理解しづらいのは、当然といえば当然。

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長唄の作曲法の特徴

 というわけでその、長唄の作曲法の特徴というのをここで簡単に説明しておきます。長唄の作曲法(メロディーの組み立て方)で最も多用されてるのは、
「短い定型フレーズの断片を適宜組み合わせて、一つながりの長い曲にする」
という方法です。

細かいことを言うと、他の作曲法もあるのですが(を用いるやり方等)、長唄で最も多用され、なおかつ弾き唄いでないと暗譜しにくい作曲法が、この定型フレーズ組合せ式なのです。大薩摩も定型フレーズ組合せ式です。

 その「短い定型フレーズ」というのは、平均して2小節(8拍)くらいの長さでしょうか。それを更に細分化して(二つに割って)用いたりもします。長唄という音楽はその大部分が、この定型フレーズという短い単位の組合せで出来ています。いわば音楽のパッチワークのようなもの、それが作曲法という面から見た場合の、長唄の音楽的な特徴です。

 しかしこの定型フレーズは、それほど沢山の種類があるわけではありません。パッチワークに例えるなら、元素材となる生地の種類が乏しいという事です。その代わり、組合せ方は多彩で(無原則的でさえある)、定型フレーズではない(ある一曲にだけしか用いられない)オリジナル・フレーズも少なからず用いられます。以上のことから長唄は、
・わりと「どの曲も似たようなもの」であり、
・他の曲で聴いたことがあるような音型が、別の曲でもしばしば登場し、
・しかしまた、他の曲と全く同じというものも無い。
という性質を持つため、洋楽式の暗譜法では憶えにくいのだと考えられます。

「長唄は定型フレーズの組合せで作られてる」ということは、つまり長唄は紋切り型の連続の、非常にパターン的な構造を持った音楽なのであり、しかもそのパターン(定型フレーズ)の種類が少ないのだから、暗譜するのは容易なはずだと思われるかも知れませんが、一般的に、似たようで、しかしちょっとずつ異なるものが無原則的に配置されてる状態を記憶するのは困難なものであるし、また長唄の作曲者は、その数少ない定型フレーズを使い廻しながら、それが「使い廻し」である事が露呈しない(聴く側にバレない)ための工夫をするものです。つまり長唄の作曲法には「パターンに依存しながらパターン的であることを隠蔽するように作られてる」という特徴もあるわけです。

 以上をまとめると、長唄が洋楽式では暗譜しづらいのは「音楽的に複雑すぎるから」ではなく、
・むしろ単純だから
・単純なくせにパターン的には把握しづらいから
・結果的に、わりとどの曲も似たようなものになりがちだから
であると考えることが出来ます。

 その代わり、長唄の詞章は一曲一曲が非常に個性的に作られているものです。どの曲の詞章も、独自の場所・時代・季節・登場人物といった設定を持ち、それらの要素を舞踊音楽として、時間軸上に展開するための構成もまた、曲ごとに様々です。そして、その詞章(ことば)にリズム的な長短が割り当てられ、音程の高低が与えられることで唄の「節」が形作られ、その歌の節を伴奏するための三味線の「手」が添えられます。つまり長唄の作曲の手順を概念的に示すと、

詞章の「ことば」→唄の「節」→三味線の「手」

という段階を踏んでると見なす事が出来るわけですね。もちろんこの三段階はあくまでも「概念的」な捉え方で、実際の作曲が、常にこの手順で行われるという事ではありませんが、三味線の「手」は唄の「節」に従属するもの、歌の「節」は詞章の「ことば」に従属するもので、長唄は「はじめに言葉ありき」な性格の強い音楽であるのは間違いのないところですから、繰り返しになりますが、
・曲の詞章(ことば)
・唄の「節」
・三味線の「手」
の三つの要素を一揃いのものとして把握・記憶するのが重要なのであり、そのためには、曲を浚う時には弾き唄いをするのが良い方法なわけです。

さらに付け加えると、節の作り方、節に添える手の作り方の、曲ごとの特徴を把握することで、作曲年代による様式や技法の違いや作曲者の個性等を理解するための手掛かりを得ることが出来ます。「曲を浚う」というのも、ただ暗譜して仕上げれば終わりというのではなく、そういう面にも関心を持つのも大事(というか面白い)と私は考えます。

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丸暗記

 とまあ色々書いてみましたが、実際のところ暗譜の仕方などというのは人それぞれで、弾き唄いなどせずともバッチリ暗譜出来るよという人は、べつにそれでかまわないのだとは思います。私は中年になってから三味線を始めたので、子供の頭の暗記力とか、体で憶える式の暗譜力を自身に期待出来ないという事があり、また三味線を始める以前はずっと洋楽をやってまして、洋楽式の理詰めで把握する暗譜法に馴染んできたものですから、長唄に対しても同じ感覚で、言い換えれば「構造を理解する」式の考え方で演奏に臨む傾向があります。ですのでたかが暗譜、たかが弾き唄いに対しても、こう長々と駄文を弄してしまう次第。

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 弾き唄いをせずに暗譜をする方法としては「とにかく繰り返し何度も弾く」というやり方が最も一般的であると思われますが、その他に、
・数字の羅列を暗記する
・譜面の絵面を記憶する
というやり方をしてる人もいるらしいですね。

 「数字の羅列を暗記する」とは何の事かといいますと、長唄の楽譜は研精会譜と文化譜の二種類がありますが、これは両方とも数字で表記されるものです(註)。なので、長唄の譜面には64336667366676763443といった具合に数字がずらっと並んでるわけですが、この数字の並び順を暗記してしまえる人がいるらしいんですね(少数派だとは思いますが)。例えて言えば、円周率(3.1415……)の小数点以下を何十桁も暗記するのに似た感覚でしょうか。

(註)
研精会譜は、洋楽でいうところのドレミ〜を1〜7のアラビア数字で表記したもので、洋楽の五線譜と見た目は全く異なりますが、内容的には五線譜とよく似ています。

文化譜は、左手で糸を押さえるその場所(ポジション)を1〜18のアラビア数字で表記したもので、これは洋楽のギター等で用いるタブラチュア(タブ譜)と同じものです。

 このやり方でスラスラと暗譜出来るなら、(こういうタイプの暗記力がまるでダメな私としては)ちょっと羨ましいようにも思えます。ただ、この暗記の仕方では、たとえ何十もの曲を浚ったとしても、音楽家としての経験(あるいはスキルみたいなもの)は全くと言って良いほど蓄積されないと私は考えます。円周率を何十桁も暗記出来る能力と、数学者としての能力(あるいはセンス)の優劣とには、とくに関係がないのと同じような事であるように思えます。

 「譜面の絵面を憶える」というのは、譜面の見た目を写真の画像のように記憶の中に格納して、演奏中にその画像(脳内イメージってやつでしょうか)を見ながら弾くっていう、そういう事の出来る人が稀にいるらしいんです。

これは実際のところ、そういう能力の全くない私にはどういう感覚のものか想像もつきませんが、著名人でいうと、アンソニー・ジャクソンがわりとそういうタイプの人らしい。

 とはいえこういう、音楽の実際の姿/実際に鳴らされる音との関連性の低い暗譜法では、繰り返しになりますが、何十曲を浚っても音楽をするのに必要な経験は蓄積されていかないので、数字でとか絵面でとかいうのは補助的な暗譜法として、とくに速成で曲を仕上げなければならないような時には便利な能力ですから、こういうやり方の出来る人は大いに活用されたら良いとは思いますが、基本はやはり弾き唄いで浚うのが一番良い方法だと私は考えます。

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ベースと三味線

 洋楽器の中で「唄や舞踊の伴奏のための楽器としての三味線」に一番近い役割を担ってる楽器は何かというと、それはベースではないかと思うのですが、

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このベースと三味線を対比させる事で、「三味線弾きが弾き唄いをせずに稽古してる状態」とはどんなものかというのを、もう一つ違った観点から見てみたいと思います。まずは、三味線とベースのどこがどれだけ似てるのかを説明せねばなんですが、洋楽ポップスの中でベースが果たしてる役割と、その演奏内容の特徴を箇条書きにしてみると、

★ジャズ/ロックンロール/ソウル等々の音楽ジャンルの違い(それは、ダンス・ミュージックとしてのリズム型/ノリ方の違いなのでもありますが)によって、どういうフレーズを弾くべきかのおおよそは決まっていて(つまり、大体いつも定型フレーズ的なものを弾いている)、
★時々、歌のメロディー・ラインをなぞる(歌手を補助する)事があり、
★時々、ソロ・パートも受け持つ。
コード(和音)を弾かない。基本的に単音フレーズのみ演奏してる。

という事で、三味線と似てる点が多いのですね。スラップというものが登場して以降は、奏法的にも音色的にも、ベースと三味線はますます似通ってきてるように思えます。

逆に、ベース奏者の側から三味線のしてる事を見てみると、

・大体いつも、歌のメロディーをなぞるようなフレーズを弾いてる。
・ロック・バンドでいうところのリード・ギターやキーボード並みに、イントロや間奏でソロを弾く。

という違いがありますが、これは

・日本の音楽は和音を用いないため、唄の伴奏の作り方が洋楽と伝統邦楽とでは根本的に異なる
・また長唄は洋楽に比べ、それほど広い音域を用いないため、弦楽器がベースとギターに分化してない

等々の理由からこういう違いが生じるのであって、歌の伴奏をするという本質の部分では、三味線とベースは良く似た仕事を行ってると言えます。長唄の三味線は、洋楽ポップスのギターとベースの役割を兼務してる、と言うことも出来ます。

 また、洋楽ポップスのボーカリストは、(ベースが歌のメロディー・ラインをなぞるフレーズを弾いてるかどうかに関係なく)ベースを(音程・リズム両面での)ガイドにして歌ってることが多いとも言われます。どのボーカリストさんも必ずベースをガイドにして歌ってるわけではないのですが、上手いボーカリストは、たいていベースを聴きながら歌ってるものです。ですから、歌手のために歌いやすいバックグラウンドを提供するという役割がベーシストには求められており、その点でも三味線とベースは似ていると言えます。

 ですので三味線弾きが弾き唄いをせずに曲を浚ってる状態というのは、
★ベーシストが一人きりで、
★自宅で黙々と練習してる風景
にかなり似てる、とも言えるわけです。ところで世の中に楽器の種類も色々ある中で、
「ベースの個人練習ほどつまらないものはない」
のであって、もちろん楽器を持ち始めの一番最初の頃はしょうがないですけど、ある程度一通りの事が出来るようになったら、たいていのベース弾きはバンドに加わるものです。一人でベースだけ弾いてたってしょうがないですからね。ところがどういうわけか三味線弾きの場合は、その一人で黙々個人練を厭わない人が多いのはなぜなのか?退屈で辛いだけの稽古、しかしその方が、

伝☆統☆芸☆能やってるぜ!な感じがしてむしろ萌える

という気質の人ならそれはそれでオッケーかも知れませんけど、しかし三味線音楽は遊芸とも呼ばれる性質のもので、なんというかその、苦節何十年の精進の末に芸道を極めてどーのとかとは違うんで(と私は思っております)、むしろ自分でやって面白い事、人に見せて面白いと思ってもらえる事を第一に優先させるべきではなかろうか?弾き唄いは曲を暗譜するのに必要なものですが、稽古の時に唄のある/なしではどちらが楽しいか?というのも大事なことだと思うのですね。

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弾き唄いは難しいのか?

 稽古の時に弾き唄いをしてないという人でも、「本当はするべきだと思ってる」とか「やりたいんだけど難しそうだから尻込みしてる」という人も多いのかも知れません。実際のところ、弾き唄いは技術的に難しい事なのかというと、芸事は何でも、
★本格的にやる/人様にご披露出来るレベルにまで仕上げるのは難しく、
★自分一人でやるだけなら簡単(下手ぴいでOK)
なものです。そして長唄の稽古のための弾き唄いは最初にも書いた通り、基本的には人様にお聴かせするためのものではないのですから、簡単コースでぜんぜんかまわないわけですね。声が悪くても音程が多少アレでも、とにかく「手」に「ことば」を付けるのが大事。とくべつ大きな声を出す必要もありません。

となると「ことば」を声に出さず、頭の中で唱えるだけでも良さそうに思えてきますが、これはやはり実際に発声するべきと思います。声に出さない事には、詞章を正しく暗記してるかどうかの検証が出来ませんし、また弾き唄いには、三味線を弾くための神経を口を動かす方にも分散させる事で「無駄な力を抜く」ためのコツを掴むという、そういう効果もあったりするんじゃないかと思うので。

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 以上長々と駄文を綴ってまいりましたが、要するに「稽古の時は弾き唄いをした方が良いですよ」と皆様にお勧めするのが、このページの主旨なわけです。ですので筆者としては、人にやれやれと言うだけでは片手落ちで、ここは一つ率先してネットの世界で恥さらし、私自身の弾き唄いの録音を公開しておかないといけないような気がするのでそうしますね。


「四季の山姥」より

ふりさけ見れば袖ヶ浦 沖に白帆や千鳥たつ
蜆採るなる様さえも あれ遠浅に澪標
松棒杭へ遁れきて ませた烏が世の中を
阿呆あほうと笑う声 立てたる粗朶に付く海苔を
とりどり巡る海人小舟 浮絵に見ゆる安房上総

↑この録音は一発録り(1 take)ではなく、(例によってこの部分だけ何十回も録音した中から)比較的まともな出来のものを5 takeほど選び出し、それを継ぎ接ぎ編集して1本にまとめたものです。弾き唄いは下手でOKとか言っておきながらあれなんですが、録音物は生演奏と異なり「繰り返し何度も聴かれる」性質のもので(↑の録音を何度も聴きたがる人なんていないよとか、そういう事はさておいて)、たかが素人の稽古の記録にすぎないものであっても、WebにUpする以上は一応最低限のクオリティ(当社基準)を充たしてるべきである、と私は考える。そして私の歌唱力をもってしては、1 takeでその最低限のなんとかに達するのがぜんぜん無理ってのが非常にアレですというか、

やっぱ弾き唄いはムズイかもねw

 弾き唄いの実例として、なぜ四季山の二上がりを選んだのかというと、このくだりは三味線の手が混んでる割には、案外唄いやすいんですね(唄いやすいにしては↑の出来はなんだみたいな話しはですから、この際一切不問に付して頂きたいのである)。手が混んでる=ちょっと難しそうな事を弾きながら唄うのは、とくに長唄というのをあまり知らない人の前でやってみせる時の良いネタではなかろうか?またこのくだりの唄の節は、長唄というより俗曲風なので、やはりこれも長唄に馴染みのない人に受けが良い(のではなかろうか)。声域は高いところを多めに使うので派手。三味線の「手」に擬音(面白ネタ)もあったり等々の特徴から、つまりこれは、
「レクチャー付きコンサートのような場面でハッタリを効かせたい時に最適な題材の一つ」
じゃないかと思うので、そういう活動をなさってる方は参考にして下さいみたいな。

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 三味線の「手」が混んでると弾き唄いは難しいのか?逆に、「手」が疎らなら唄いやすいのかというと、それは一概には言えなくて、例えば同じ四季の山姥の中の三下がり(冬は谷間に冬籠もる)の部分、「手」はごく単純ですが、ここを弾き唄いでやるのは(色々な意味で)とても難しいものです。
 しかし、どの曲が弾き唄いをしやすいかというのは、実際のところは人によって色々で、それはつまり自分の好みであるとか、「節」の型が音感上把握しやすいかどうかとか等々で、弾き唄いをしやすい/しにくいの違いが生じるように思えます。

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 とはいえ三味線弾きにとっての弾き唄いは「曲を浚うため」のものですから、出来る出来ないに関わらず、どんな曲でも弾き唄いで稽古をする必要があります。そしてやはり一般的には、三味線の「手」が混んでいて言葉数も多いといったものほど、弾き唄いは難しく、しかしそういう部分こそ「手」と「ことば」をしっかり関連させないと、暗譜はうまくいきません。では、そういう場合にはどうしたら良いのかという実例をもう一つ用意いたしました。


「吉原雀」より

(いつか廓を離れて紫苑)
そうした心の鬼百合と 思えば思うと気も石竹に
なるわいな
末は姫百合男郎花 その楽しみも薄紅葉
さりとはつれない胴欲と 垣根にまとう朝顔の
離れ難なき風情なり

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 これはつまり、唄の「節」の要素を排除して、「ことばを棒で言う」あるいは「念仏にする」というやり方です(↑の例では、部分的には節を付けて唄ってますが)。弾き唄いでは上手く唄えないなんて事を思い煩うくらいなら、どの曲も全編このやり方で押し通したって良いわけです。ただ、一曲およそ15分のものをずっと念仏。そんな稽古を毎日してたら気が滅入ってきますから、自然と、唄いやすい部だけでもなるたけ唄うようになっていくものではなかろうか?

 「ことばを棒で言う」式の弾き唄いは「節」の音程を省略してるわけですが、「節」のリズムおよび「手」との組合わさり方は、その節本来の型通り(というか自分のお師匠さんのお手本通り)に唱える必要があります。音程がないから/念仏だからテキトーでかまわない、という事にはならないのですね。産み字の扱い方にも注意が必要です。

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2009年05月17日

木撥と象牙撥、どちらが「良い音」か?

 べつにその、長唄界の常識にことさら楯突こうというのじゃありませんけれど、象牙撥は本番用、木撥は稽古用で、象牙撥の方が音が良いとされてます。けれども本当にそうなのか?一度ちゃんと確かめてみたいものだと思っております。

 というか、我々楽器をいじったりする類の人種は、音が良いとか悪いとかって簡単に言いすぎるんですよ。音の良し悪しを判断するというのは、本当はとても難しい事のはずです。

「難しく考える事はない。自分の耳で聴いて良いと感じる音が良い音にきまってるじゃないかばかめ」

などとおっしゃる御仁も多いのですが、演奏者自身が自分の出してる音の良し悪しを判断できると当然のように思ってるという事が、楽器に慣れ親しんでる人間の、その「慣れ」の怖さというか浅はかさというか、思い上がりというか、

みたいな話しはさておいて、木と象牙、この2種類の材質の違いで実際のところ、どのくらい音色が違うものかを聴き比べてみるため、試聴用の音ファイルを作製いたしました。



 2つとも「吾妻八景」の前弾きで、片方は木鉢、もう片方は象牙撥で弾いてますが、どちらのファイルが木か象牙かというのは、伏せておきたいと思います。木と象牙で明らかに音色の差があるなら、それは聴いてみれば(少なくとも三味線という楽器に親しい人なら)すぐに分かるはずだから、あえて明記する必要はないという事ですね。三味線本体の方は、紅木棹猫皮絹糸象牙駒のものを用いてます。

 録音に使ったレコーダーはRoland R-09という簡易なICレコーダーです。

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これで録音したWAVファイルをWebにUPするためmp3化してあります。それをおそらく皆さんは、パソコンに付属の簡易なスピーカーで再生されるわけで、つまりこれは、デジタル・オーディオとしてはかなり低品質なものなわけです。ですから細かな音色の違いみたいなものは曖昧になってると思っていただいて間違いありません。

mp3化する際にはパソコンのDAW上で、音量レベルの最大化を行ってますが(TC Electronic社のプラグイン・エフェクト"MAXIT"を使用)、EQ等の、元データの音色を変えてしまうような処理は一切行っていません。

 そんな低品質なファイルで撥の材質の違いによる音色の聴き比べをしようなんてのは少しおかしいと思われるかも知れませんが、長唄というのは、

・基本的には踊りの伴奏音楽で、
・わりと大きめの会場で演奏するのが常で、
・お囃子(打楽器)や御簾(効果音)と共にあり、
・立方(踊り手)の発するノイズ(衣擦れや足拍子)も常にあり、
・客席側も、空調ノイズや見物衆の発する様々なノイズに充ちている。

要するに、つねにガサゴソとした環境下で、わりと遠くの方から聞こえてくるのが長唄の三味線なのですから、今回UPしたファイルが低品質な分は、長唄の三味線が実際に聴かれる状況での距離感におおよそ等しいと、そんな風に考えていただけたらと思います。

 三味線音楽にも色々な種類があって、「四畳半」みたいな距離感で、しかも非常に物静かな環境で演奏されるものもあります(小唄など)。そういうタイプの三味線音楽ならば、細かい音色の違いや、音色だけでなく「演奏のニュアンス」みたいな事にこだわるのも大切ですが、長唄というのはそこら辺はわりと大雑把なもので、あんまり細かい事に神経を尖らすのも意味がないように思えます。

 だからといって、長唄用の撥は木製でOK!という事にはならないとは思いますが、というか、

「踊り地用には、象牙より木撥の方が適してる」

みたいな長唄界の新常識が定着したら、演奏者にとっては(予算的に)有難い話しですが、

というか少なくとも音締に関しては、象牙を用いるという習慣は廃れてくれないものかと思っているわたくしです。新調すると一式10万円見当のものが、木製よりも使いづらく不安定だというこの不合理。1989年のバブル崩壊から回復しないまま、昨2008年に起きた世界同時不況に巻き込まれてしまったらしい日本の経済ですから、もうあんまり道楽に見栄を張る余裕も残ってなさそうだという事を、三味線業界の人々も考えたら良さそうに思うんですが、そんな心配は余計なお世話だというならどうもすみませんです。

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 三味線の録音に関しては、これに適したマイクを用い、象牙撥で演奏した場合、その「象牙らしさ」を強調するようなEQ処理等を施すことで、mp3によるWeb配信でも充分に「象牙らしい音色」をお届けする事は可能だと思っております。なんですけどそれは、「木撥で演奏しても象牙風の音色を演出できる」という事でもあるのですね。録音という作業は「工夫のしよう」が随所にあり、かなり音色をいじれるものでございます。
 今後、当サイトでは私の演奏の録音を色々UPしていく予定ですが、使用する撥は木製がメインになると思います(予算の都合上)。ですので、木撥を使っても長唄らしい三味線の音色の録音物を作る、そのためのノウハウを見つける事は、自分にとって重要な課題でございます。木撥でも象牙の音色を偽装できるぞっていう話しではなく、長唄らしい音色とは何か?という問題を、録音作業という場面でもよく考えてみたいという事です。

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2008年12月25日

三味線の「さわり」について

 三味線の音色の特徴の一つであるさわりについて。

 さわりとは、弦の振動と共に発生するノイズ成分の事です。わざとノイズ成分を発生させるための仕掛けが、三味線には備えられてるのですね。こういう「ノイズ発生装置」を持った楽器は三味線以外にも、
・インドのシタールなど
・日本の琵琶
・アフリカの打楽器や木琴類
・中国の笛の一部(ブーブー紙を取り付けたもの)
な無数にあって、とくべつ珍しいものでもありません。しかし三味線以外のものは原則「その楽器で出せる全ての音」にノイズ成分が付くよう工夫されてるのに対して、三味線は「一の糸の開放弦にしかさわりが付かない」という特徴があります。

 シタールや琵琶は、さわりを発生させる仕掛けは下駒(ブリッジ)側にあって、全ての弦・全ての音にさわりが付きますが、三味線は上駒側でさわりを作ってます。

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(天神部分の拡大画像)二の糸・三の糸は金属製の上駒に乗せられてるので、棹の上面には接してません。普通の弦楽器は全ての弦を上駒に乗せるわけですが、三味線の場合は一の糸だけを上駒に乗せず棹の上面に接触させることでさわりを作り出します。
さわりがきれいに付くかどうかは、この接触具合の加減で決まるので、小さく切ったセロテープ等を貼って微妙に調整したりします。

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実際に、どんな音なのかを聴いて頂きましょう。本調子・一の糸の開放弦です。


 三本ある糸のうちの一本だけにしかさわりを発生させるための仕掛けが備えられてないのが三味線ですが、では一の糸の開放弦を弾いた時だけしかさわりが付かないかというと、そうではなく、物体には共振という現象がありますから、一の糸以外の糸を弾いた時にも、一の糸が共振を起こせばさわりは付くのです。その一例として、一の糸の隣りの二の糸の開放弦を弾いた時の音を。


共振とは;
エネルギーを有する系が外部から与えられた刺激により固有振動を起こすこと。特に、外部からの刺激が固有振動数に近い状態を表す。共鳴と同じ原理に基づく現象であるが、電気や固体については「共振」の語がよく用いられる(とWikipediaに書いてあった)

 上記の解説に沿って説明すると、この場合の「エネルギーを有する系」とは一の糸の事です。一の糸がなんでエネルギーを有してるかというと、張力を与えられてるからですね(張力とはポテンシャル・エネルギーの一種、のはず)。「外部からの刺激」とは、二の糸を弾いた事によって生じた振動、それが下駒や皮を伝わって一の糸に刺激を与えるので、一の糸が共振を起こすわけです。
 「特に、固有振動数に近い状態」とは何の事かというと、(ここでは物理用語で説明するべきかも知れないあれやこれやをざっくり省略)一の糸の音程に対して、音楽用語で言うところの協和音程の関係にある振動が「外部からの刺激」として与えられると、一の糸は共振しやすい、という事です。本調子の場合、一の糸と二の糸の音程は完全四度ですから協和度は充分高いですけれど、完全四度よりも完全八度(オクターブ)の方がより協和度は高い(これは二つの音程の振動数比が、より単純な分数関係にある、と言い表す事も出来る)。ですので、二の糸の開放弦よりも三の糸の開放弦(一の糸の1オクターブ上)を弾いた時の方が、一の糸の「固有振動数により近い刺激が与えられる」、つまりさわりがより大きな音で鳴るわけです。本調子・三の糸の開放弦を弾いた時の音は、


「協和音程」を、その協和度の高い順に並べてみると

完全一度(1:1)>完全八度(2:1)>完全五度(3:2)>完全四度(4:3)>長三度(5:4)>etc.

となっておりまして(カッコ内は振動数比)、完全四度よりも完全五度の方が協和度が高い(さわりがより大きな音で鳴る)、つまり一の糸と二の糸を完全五度に調弦する二上がりの方が、さわりがより大きな音で鳴るわけです。
 一方三下がりは、一の糸と三の糸を長七度に調弦します。長七度は協和度がかなり低い音程なので、三下がりの時の三の糸の開放弦を弾いても、さわりは全くと言って良いほど付きません。

 概して三味線は、さわりがたっぷり鳴る方が、派手で明るい音色に感じられるものです。そのため、本調子・二上がり・三下がりという三つの調子を比較すると、さわりが一番付きやすい二上がりが最も派手で明るく、さわりが一番付きにくい三下がりは地味で暗い感じ。本調子はその中間、という事になります。
 以上の事は、三味線を弾く人なら誰でも常識的・経験的に知っている事ですけど、一応理屈で説明するとこうだよという話しでした。

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 三味線のさわりの音響的な効果がよく現れてる、なにか良い例はないかと考えてみたところ、『外記猿』(げきざる)の前弾きが良さそうに思えたので、その音ファイルを作ってみました。
 この前弾きは、(研精会譜の表記で29小節もある)長唄の前弾きとしては長めの方のものですが、一の糸の開放弦を弾くのはお終い近くに一度きりだけという、ちょっと変わった手でございます。そこでこの前弾きを普通に弾いたものと、ちょっと細工をしてさわりが付かないようにした三味線で弾いたものの二通りを聴き比べてみれば、
「弾かれなくとも鳴っている一の糸のさわり
の持つ効果がよく分かるのではないかと。さわりが付かないようにする細工というのは簡単なもので、左手の親指を曲げて一の糸に触れ、共振を抑えてしまうという、ただそれだけです(もちろん一の糸を弾く時には常の親指の形に戻します)。

ちなみにこの曲の前弾きは、噺家の誰だったかが出囃子に使ってたので、長唄には馴染みのない人もどこかで耳にした事はあるかもしれないという、けっこうポピュラーなものでございますね。

■外記猿の前弾き、普通の弾き方


■外記猿の前弾き、さわり無し


どうでございましょう?

実はイマイチだったかなと思ってるわたくしです。

 この前弾き、一の糸の開放弦を用いない代わりに二の糸の開放弦を多用していて、さわりが無くてもそれなりに響きが豊かなんですねって事に録音してから気が付くという迂闊さは、実に私的に毎度な感じのアレです。あと親指を変な形にしてるから演奏をしくじってる(という事にさせて)。でもわざわざ録音したんでUPしときます。そのうちより良い実例を思い付いたら差し替えるかも知れません。

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