2013年08月25日

【お別れ録音】Teisco SS-4L

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 どれほどネックがひん曲がってようとも、フレットが針金のようであろうとも、それを例えばスライド奏法専用機にしてしまえば”使える”ギターになるわけで、つまりなんでも適材適所。その原則を守れば本来、この世の中に「使いものにならない機材」などは存在しないのだ。それで今回の作例は、その原則を守らなかった失敗作。

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■全パート、BOSS GT-10を使用。
GT-10のデジタル・アウト → M-AUDIO FireWire 410 → DAWという接続順。
■パッチの内容はClean TWINにスプリング・リバーブの組合せ。
Pre-Amp.Gainは60、GainSWはMID。
SP typeはOriginal、MIC typeはDYN57、MIC dis.はOff、MIC Levelは100。

■SS-4LのPUポジションは;

PUGT-10 TONE設定
1st voice3+4Bass= 52 / MID=100 / TREBLE=83
2nd voice1+4Bass=100 / MID= 15 / TREBLE=77
3rd voice1+2上に同じ

*)PUナンバーはネックからブリッジに向けて1〜4となります。
  presenceは3パートとも0。

■DAW上でマスター・リバーブを2種を掛けてます。設定は以下の通り。

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■録音期間;2013年6月11日

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 今回のお題はJ.S.BachのDAS WOHLTEMPERIERTE KLAVIER 2の4曲目、C# minorのプレリュードのサワリだけでした。当初の計画では全曲やるつもりだったけど、録音作業を始めてみたところSS-4Lが予想以上に弾き辛すぎたので - - とてもじゃないがやってられねえ#ってくらい弾き辛すぎたので - -、全62小節ある中の最初の17小節目まで録音したところで作業を中止しました。

 SS-4Lはオクターブ・チューニングの調整機構を持ってないからハイ・ポジションの音程は甘い、というのは初めから分かってたことだけど、それにしても私の所有してた個体は音程ズレすぎで(ブリッジの取り付け位置が若干おかしい)、しかしなるたけオリジナル状態のままで売却したいから、ブリッジ位置を調整し直したりはしたくない。ならば、ハイ・ポジションしか使わない1st voiceを弾く時には、それ用にチューニングを微調整する事で乗り切ろうと考えたのですが、初期のテスコはペグの精度も悪いから「半音のはんぶんくらいでピタっと決まって」くれたりはしないのですなこれがまた。それで、こういう曲の場合の作業手順は、8小節刻みくらいで3パートを仮完成させながら先に進んでく方式だから、チューニングの微調整も頻繁に行う。それをテスコのペグでするのはストレスが溜まる一方で、しまいには腹も立ってくる。それで
「よくこんなものに値段を付けて売り物にしてたよな、テスコとかいう会社★」
などと、楽器に八つ当たりをし始める。といった調子で、自宅で一人で宅録しながら腹を立ててるのもアタマおかしいですから、だったら止しにいたしましょうよ。

 それとこの曲は、装飾音の扱い方が重要なテーマの一つ(になるはずだった)のだけど、SS-4Lのフレットは実に針金チックな針金フレットで、

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装飾音を弾く際に多用するプリング・オン/オフやスライド、それをこのフレットで弾くのも辛かった。

 「エレキでバッハ」のシリーズはSD-4Lで録ったのが最初で、それが自分的には意外なほど好印象だったから、SD-4Lと仕様的な共通点の多いSS-4Lでもう一度やってみようと考えるのは自然な成り行きというか、アイディアとしては悪くないと思うのですけど、SD-4Lで録ったのはもう3年前の事だから、今回のはそれより一段、内容をグレードアップしたい。SD-4Lの時は小節数も音数も少ないシンフォニア(BWV799)だったから、今回はDAS WOHLTEMPERIERTE KLAVIERにする。SD-4Lの時はテンポ一定で楽譜をなぞり弾きするだけの無内容録音だったから、今回はその点もどうかしたい。
 といった「より良く」志向が、つまりは間違いの元だったかも知れません。そういう事をしたいならテスコなんか使っちゃダメだっていう。

 SD-4Lでシンフォニアを弾いたのが意外に良く思えたのは、この曲とSD-4Lの音色の組合せがたまたま良かったからではなかろうかと、今ならそう考える事が出来る。その次に録ったガボットはまるで面白くなかった。その時点で、初回のがまぐれ当たりだったって事に気付けたら良かったんだけど、ガボットがつまらない出来になったのは、自分がガボットのノリ方を知らないからだと考えてしまった。その判断にも大いに一理あって、だからというでもないけれど、曲と音色の「相性」という側面には思いを至らせてませんでしたね。

 というわけで今回のは完全な失敗作なのですけど、内容的に失敗だろうがダサかろうが「手放す機材の音の記録」が当コーナーの主旨ですから、こんなんでも晒します。それに実は自分、この「エレキでバッハ」という企画には既に飽きてしまってるので、「いつかリベンジで録り直し」という事もしないと思う。だったら今回のを晒して「エレキでバッハ」シリーズは尻すぼみフェイドアウトでいいかなという気持ちもあるのです。

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 今回のはテンポ一定の楽譜なぞり弾きではなく、もうちょっと中身のあるものにしたい、と考えた時、そうは言ってもどう作業を進めたものか?本格的にやるとなると手間がかかるし、そもそも「本格的」にどーこー出来るほどのバッハ・スキルが自分にはないという根本的な問題もあって、ならば取りあえずグレン・グールドのテンポ設定を真似してみようと考えた。参考にしたのは、

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Glenn Gould "Bach: Well-Tempered Clavier,Book II"1971

 といっても、最初からグールドの、2巻の4番のテンポを真似ると決めてたのではなく、構想の一番最初の段階ではDAS WOHLTEMPERIERTE KLAVIERの(フーガではなく)プレリュードから一曲を選ぼう、という考えしかなかった。
 しかしこの曲集には、ギターの最低音(E2)よりも下の音が使われてる曲が多い。D2までならドロップ・チューニングで対応出来るし、太いゲージの弦を張るなりすればC2まで可。しかしそれよりも下の音が出てくる曲はギター+ベースで録音するべきだろうし、なんにせよ1音下げくらいで収まってくれる曲の方が望ましい。
(ちなみに2巻4番プレリュードの最低音はC#2で、今回の作例ではドロップ・チューニングで対応してます)
 また、アルペジオだけで構成されてるタイプのプレリュードは除外される。あれらは鍵盤楽器で弾かないと意味がない、鍵盤楽器向けに特化した様式の曲であるし、ギターで弾くのは難しすぎますので。
 この時点で候補曲は全体の1/3くらいに絞られ、その中からグールドともう一つ、

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Gustav Leonhardt "Bach: DAS WOHLTEMPERIERTE KLAVIER 1&2"1973

これを聴き比べながら、どの曲にするかを決めました。つまり当初は、G.レオンハルトも「そっくり真似する」の候補で、結果的に私はグールドの方を選んだ。ちなみにDAS WOHLTEMPERIERTE KLAVIERの定番音盤といえば、上記二つに

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Sviatoslav Richter "Bach: Well-Tempered Clavier,BWV846-893"1973

これを加えて御三家ってな感じですけど、私はリヒテルのDAS WOHLTEMPERIERTE KLAVIERは所有してませんし、ほとんど聴いた事もありません。ユーリ・ノルシュテインのアニメ映画『話の話』(1979)で使われてるバッハ(1巻のEb minor)は、リヒテルなのかな?それをそのうち確認したいと20年くらい前から思いつつ、しかしいまだに聴いてません。「ピアノでバッハ」というカテゴリでのグールドの存在感は圧倒的なので、正直、他の人のはべつにいいやと思ってしまうのですね。
 それでもグールドとG.レオンハルト以外に、ヴァルヒャのアンマー・チェンバロ版(珍味)とかキース・ジャレット(いろもの)とかを聴いてみたりはしました。ヴァルヒャのは「持ってるだけ」に近い状態で、キース・ジャレットの方は入手後すぐに手放しましたっけね。

 G.レオンハルトの全集は10年くらい前、グールド一辺倒ではいけないような気を起こした時に購入したのだけど、これのおかげで分かったのは、やはりチェンバロ独奏の録音は耳が疲れるので聴くのが辛いという事だった。弦楽合奏の背後でチェンバロが鳴ってたりするのは「いかにもバロック音楽」な感じがして良いものですけど、バッハは「いかにもなバロックの音楽家」ではないですし(DAS WOHLTEMPERIERTE KLAVIERの半分くらいは、ぜんぜんバロック的ではない)、まあモーツァルトの前半生くらいまでの時代にクラヴィーアといえばチェンバロの事だったから、バッハの曲もチェンバロで弾かれるのが歴史的に正しい、のだとしても、チェンバロの響きがバッハの曲に似合うかどうかは、歴史的な正しさとはまた別の問題でございます。

 という事でつまり私は、バッハらしく弾かれたバッハよりも、グールドが弾くバッハの方が好きなのですね。そして、ベートーベンとシェーンベルクに関しても、私はグールド以外の人の録音は退屈で聴いてられないと感じてしまう。つまり私は、グールドという音楽家が好きなのだ。
 グールドの演奏は面白いというよりもまず第一に、(意外なほどに)無駄なお喋りが無くて分かりやすい。そのため常に新鮮な気分が保たれてる。それが魅力の源泉ではなかろうか。

 とはいえ私はショパン、ドビュッシー、メシアンなど、グールドが全く演奏しなかった作曲家のピアノ曲も好きなので、だからグールドだけが最高だとか、グールドさえいれば他のクラシック・ピアニストは要らないとか、そういう事にはならないのですなこれがまた。

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 ところでジャズ界には、「ジャズになんか興味がないロック・ファン等から、 なぜか好かれる御三家」が存在する。
チャールズ・ミンガス
エリック・ドルフィー
セロニアス・モンク
この三名ですね。まあこういうのも古い話題というか、1980年代の頃まではそうだったという話しで、今はちょっと違ってきてるかも(というより、ジャンルの垣根がどうとかみたいな話題自体が前世紀の遺物なのかも)。
 それはさておき、上記三名に次ぐのはマイルス・デイビスとジョン・コルトレーン、セシル・テイラー、オーネット・コールマンといった面々かな。しかし、マイルスは絵画界のパブロ・ピカソと同じくスター芸術家的な売り出され方をされた人で、ファイン・アートに興味が無くともピカソという名前は知ってる人が多いのと同様に、ジャズは知らないけどマイルスという名前は知ってるし、ちょっとは聴いとこかと思ってる人も多い、というような存在だから「 なぜか好かれる」というのとは立場が違う。電化マイルスという間口も持ってるし。
 コルトレーンはテイラー、コールマンと併せフリー・ジャズという括りで非ジャズ・ファンから興味を持たれやすい存在だったので、やはり「 なぜか好かれる御三家」とはちょっと違う。まあ昔はフリー・ジャズなんて音楽にもそれなりの需要と注目度はあった、そんな時代のお話しです。

 ミンガスは、ジェフ・ベックがポークパイハットをカバーしてる関係でロック方面での知名度もそこそこあるのであろう。ドルフィーはミンガスとつるんでたしフリー・ジャズの人でもある。モンクは - - - - モンクは何で有名なんでしょうね?いや、それほど有名じゃないですけど。かく言う筆者は、武満徹氏の著書でモンクという名を知って、それで聴き始めたクチです。1982年頃の事ですね。その頃の私は今にして思えば、
「背伸びして、わけもわからないのに洋楽を聴きたがる」
典型的な厨二でした、高三でしたけど(恥)。まあ私は今でも厨二みたいなものです。これは私の宿痾(恥)

 それもともかく、クラシック界にも「クラシック音楽になんか興味がないロック・ファン等から、 なぜか好かれる」演奏家が、やはりいるであろうか?しかしこの場合はクラシックの「演奏家」に範囲を限定する必要があるのが、クラシック界の特殊性かな。クラシックの作曲家まで含めたら、ロック・ファンから好かれてる作曲家なんていくらでも出てきますから。

 でまあグレン・グールドはそういう、クラシックには興味がない人からも好かれやすいクラシック演奏家の代表格ではなかろうか?という事を私は言いたいわけです。グールド以外には誰がいるだろうか?私にはちょっと思い付けない。クラシック界にはあまり詳しくないからね - - - ではなく、この場合はクラシック界に詳しい必要はないのだ。マイルス・デイビス的な有名人ならクラシック界にもいるのだろうけど、ミンガスのような、自分のホーム・グラウンドでは異端視されてるけど音楽界全体からは広く浅く支持を集めてる、そのようなクラシック演奏家といったら誰だ?
 しかしこう書いてみて気付くのは、現在のクラシック業界に「異端」と呼ばれるような演奏家は、たぶん存在しなさそうだなという事である。へんな顔芸をするびじん演奏家とか技術偏重主義者の師範代みたいな人達なら大勢いるけど、もちろん彼らは異端ではないし、そのテの人達を異端と呼ぶのは、異端という言葉の意義に対してむしろ失礼であろう。
 異端とは、「規範」意識が厳然と存在する領域内での、「正統」への対立項である。つまり異端は、正統の対概念としてしか存在し得ない。では現在のクラシック界に明確な規範意識は存在してるだろうか?あるいは存在してるのだとしても、それは、文化の一領域 - - クラシック音楽という一ジャンルの中で本来担うべき役割を、現在も充分に果たしてるだろうか?

 「やってはいけないけど、やると楽しい事をやる」のが(そしてそのやり方に一個独立の様式性があり、少数ながらでも賛同者を集め得たものが)遊芸の異端である。そして、正統の側がそれを政治的強制力を以て阻止しようとする事でシーンは盛り上がる。異端の側からすると、禁じられる事でむしろ力を得るのだし、正統の側は、異端が発生する事で自身の存在意義を周囲に再確認させる事が出来る。そのマッチポンプ的な循環作用によって、異端が発生したジャンルは活性化される。規範はその作用の支点の役割を担うもので、これを失った芸能ジャンルは衰退する。だから、してはいけない事が存在しない、なんでもありのフリーダムな世界は、実は遊芸にとってはあまり望ましくない状態なのだ。
 そして先述したように私には、現在のクラシック界に異端は存在してないように思われるのだけど、そうなった理由は、
1.異端を完全に排除してしまえるほど、正統派の政治力が強大化した。
2.逆に、正統派が政治力を失い、クラシック界は「なんでもあり」の世界になった。
3.クラシック音楽は楽しい事をやるための場ではなくなったので、異端化する傾向あるいは素質のある人は、もうこの世界には関わらなくなった。
等々が考えられるが、これらは相互的に作用し合うのでもあるから、どれか一つだけとは決められないけど、1.か3.がトリガーになって、その結果2.の状態に至りつつあるのが現在のクラシック界かも。ちなみに、なんでもありの世界で楽しい事をやろうとする芸能者は、良くて「小粒」、有り体に言ってしまえば「二流」程度の評価しか得られないのが気の毒と言えば気の毒などと云々。ともかく私は、
「グールドはクラシック界の異端である」
という方向に話題を進めたかったのだけど、ここまで書いてみて、それはちょっと無理なように思えてきました。なぜなら現在のグールドはどちらかというと、ピカソやマイルスと同じような有名人型のスター芸術家になってしまいましたからね。

 グールドが死んだのは1982年ですが、それから10年後くらいの90年代半ば頃だったかに、グールドの写真集や関連書籍が数冊まとめて出版された時期があって、それを境にグールドに対する評価(というか関心の持たれ方)は大きく変化したと思う。それより以前には、グールドという名前を聞いただけで顔をしかめるピアノ教室の先生とか、けっこういたものなのですよ。「グールドなんか聴いちゃいけない」みたいな。これは今でもそうかもですが。

 デビュー当初のグールドについては賛否両論が激しく交わされたし、ずいぶん敵視もされたろうと思う。彼の演奏には、19世紀的な価値観や美学を根こそぎ否定してしまうかのような一面がありますから。
 ただ彼は、コンサートをせずショパンを弾かなかった分、商売敵は少なかったのではなかろうか。そのため異端視されたり敵視されたりする度合も(影響力の大きさからすると)少な目で済んでるのかも。
 そして彼は、20世紀型クラシック演奏家のあり方の一つのスタイルを作り上げた。コンサートを行わず、レコーディングではテープの切り貼り編集を重視し、コムズカしい論文めいた著作や学者との対談集を出版し、ドキュメンタリー映画を制作する等々。彼の活動は、経済エリートのためのクラシック音楽よりも、知的エリートのためのクラシック音楽に重きを置く方向で首尾一貫してたと言える。

 ところで、19世紀的な演奏様式の否定はグールドだけでなく、G.レオンハルトらの古楽器復元派によってもなされたのである。彼らのレパートリーは18世紀より以前の曲が中心だから、その影響力は限定的だったけど、その余波なのかどうか、その後ベートーヴェンやドボルザークの交響曲の演奏スタイルも大幅に再考されたりして、20世紀の最後のおよそ30年間、クラシック音楽の19世紀的価値観は、過去と未来の両面からの攻撃を大いに受けたわけだ。

 その結果19世紀派は死滅したのかというと、そんな事はなく、しかし現在まで生き延びれたのは高尚趣味の皮を被ったイージーリスニングと顔芸と技術偏重主義。あとは妊娠中にモーツァルトを聴くと子供のデキが良くなるオマジナイみたいな新趣向が幾つか加わったくらいで、全体的には19世紀の頃とたいして変わってないとも言えるし、むしろクラシック界は、大衆趣味の最も下世話な部分ばかりを寄せ集めた場末と化したように思われなくもない。ともかく歴史も一巡した感のある21世紀初頭現在、グールドの事を異端と呼ぶのは既に不適切であるように思えてきました。だから「グールドが異端だから」クラシック・ファン以外の人からも好まれやすいという説は却下ですね。

でもべつにそれはどうでもいい。
(と書くと、じゃあ今までクドクド述べてきたのは何だったのかという事にもなりそうですが)

 グールドがクラシック・ファン以外からも好まれる理由は、彼のピアノの音色、あるいは響きの印象、あるいは録音方法(切り貼り編集の件ではなく、マイク位置とかの問題)に、ポピュラー音楽で用いられるピアノと共通の性質があるからではなかろうか?という第二の説があって、筆者にとっては異端云々よりこちらの方がむしろ大事で、それは、今回の作例にDAS WOHLTEMPERIERTE KLAVIER 2のC# minorのプレリュードを選んだ理由の一つでもあるのだけど、肝心の自分の録音作業が中絶したため書くべき事も多くなく、それで異端がどーのという無駄口を並べてみたようなところが無きにしもあらず。
 それはともかく、グールドのピアノ録音の特徴はどんなかを大まかに言えば、

・19世紀的な仰々しさや装飾性を排した、シンプルなモダニズム。
・広くて豪華なコンサートホールを飾るための音色ではなく、自宅などの私的で親身な距離感で聴くのに相応しい音色。
・高音はきらびやか過ぎず、低音は豪快すぎず、感情過多の大げさな抑揚もない。

 デビュー当初の録音には当てはまらない面もありますけど、60年代の後半から(という事はコンサート・ドロップアウトして間もなく)、上記のような傾向が現れ始め、70年代以降の10年間は、それがますます強まっていったと思う。そして以上の特徴はポップスのピアノ、の中でもとくにロックやシンガーソングライター系の音盤に録音されたピアノの音色の特徴と重なる面が多いのである。
 グールドが録音に用いたピアノは、わざわざゴージャスに鳴らないよう調整したスタンウェイだとか、最晩年はヤマハ。マイク距離は近めで残響は少ない。サスティン・ペダルを多用せず、ビートのアタマを明確に出す傾向が強いのも、ポップスを聴き慣れてる耳には馴染みやすい。
 基本、クリアで温度感は低い印象の音だけど、けして分析的でもなく、理が勝ってるのでもない。

 さらに、グールドのピアノの音色がそのようなものであるため、とくにバッハの場合、掛留や先取によって生じるsus4や、装飾音によって(一時的に生じる)7thコードが、ポップスでのいわゆるおしゃれコードの響きと似てるように感じられる(あるいは、そう錯覚される)。そのため、彼の弾くバッハはまるでバッハの曲ではないような20世紀的な成分が多めの印象に傾き、そのためポピュラー・ファンにも好ましく受け容れられ易いのではないか?
 この件は今回、G.レオンハルトとグールドを改めて聴き比べてる時に気付いたのです。G.レオンハルトとグールドとでは、装飾音の扱い方が異なる。またチェンバロとピアノとでは、掛留音の響き方(聴こえ方)が異なる。グールドならでは(であろうと思われる)、バッハを洒落乙でポップな響きに作り替えてしまってる効果が良く現れてる演奏例はDAS WOHLTEMPERIERTE KLAVIERの2巻の方に多く、それらの中でギターでも弾きやすいのはC# minorのプレリュード。だからこれをエレキに置き換えてみて(その作業を自分自身の手で行う事で)、私の感じてる事がどの程度本当らしいか(的を得てるか)、あるいは勘違いに過ぎないのか、それを検証してみたいというのが、今回の作例の課題の一つだったのです。

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 でまあそれはおじゃんになったので、これ以上いろいろ書き並べるのも全て無駄口。ただ、ポピュラー・ピアノの録音史的なものとグールドの録音歴を対照させてみるのも必要だろうと思ってざっと調べた事がありますので、それを以下に簡略に列記しておきます。

まずその前に、グールドの来歴を。

1955年 レコード・デビュー。契約先は生涯を通じてコロムビア一社のみ。
1964年 コンサート・ドロップアウト
1982年 50才で没

A.ルービンシュタインも1982年没。

1949年に英デッカがテープ録音を開始し、1956年、コロムビアはステレオ録音を開始した。グールドの録音がステレオ化するのは(たぶん)58年以降。
デビュー盤の「ゴールドベルク変奏曲」と、翌年のベートーベン最後のソナタ3曲はモノラル録音。57年のベートーベン・ピアノ協奏曲No.2もモノラル。

DAS WOHLTEMPERIERTE KLAVIER 1の録音期間は1962〜65年
シェーンベルクのピアノ組曲op.25が1964年。
DAS WOHLTEMPERIERTE KLAVIER 2は、1966〜1971年。4番C# minorは、たぶん66〜67年。
フランス組曲、イギリス組曲の録音が1971〜76年。

そして、Jaime Laredoと組んだバッハのバイオリン・ソナタ6曲、

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再録音版ゴールドベルク変奏曲に代表されるようなグールド最晩年の演奏スタイルの始まりは、このアルバムが録音された1975〜76年頃からだと思われる。「グールドの音楽」としては、ここから先の数年間が最高(だと私は思う)けど、ポピュラー・ピアノの響きと類似して云々の件に良く当てはまるのは、これよりも以前の録音、DAS WOHLTEMPERIERTE KLAVIER 2の後半(1968年頃)から75年までの期間内だと思う。

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さて、ポピュラー音盤のピアノで印象深いものは何かと考えた時、私がまず思い浮かべるのはキャロル・キングの"Tapestry"。

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1971年の録音ですね。このアルバムでのベースはエレキとウッドが使い分けられていて、ウッド・ベースの曲はシンプルなアコースティック系、ホーム・レコーディング風のサウンドです - - と言えば聞こえは良いが、実際はほとんどデモ・テープに近い仕上がりで、ピアノにはマイク1本しか立てられてない(と思う)。それがR chに寄せられ、ギターとベースはL chにざっくり振り分けられてるといったような、全体に非常に素朴で、Hi-Fiではない音質のアルバムです。
だけど、ピアノの印象はとても強い。
"Will You Love Me Tomorrow?"のピアノなんて、片寄せされた中域ばっかりの音質なのに、聴き終えた後には深々と鳴っていたという印象が残る。"Tapestry"は、不思議なアルバムです。

そのキャロル・キングの曲も度々カバーしてるカーペンターズ。

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1969年 "Ticket to Ride"でデビュー。
1970年 "Close to You"
1971年 "Superstar"
1973年 "Yesterday Once More"

「カーペンターズがカバーした自分の曲を聴いた後で、自分のオリジナル音盤の方を聴き直してみると、あまりにもみすぼらしい、素人くさい音質なのでガックシくる。」
と、キャロル・キングは語ったらしい。70年代前半時点でのポピュラー・ソングとしては、カーペンターズのサウンド・メイクは完璧ですから、それと比べたらどんな人でも負けます。でも音楽の良し悪しはA/Bチェック方式で決めるものでもないので、キャロルさんもそんな事を気にしなくても良いのにと、私は思います。

カーペンターズのピアノは、リチャード自身が弾いてるのですよね?当然、相当なこだわりを以て音決めしてるのでしょう。"Tapestry"とカーペンターズとで(両極端な組合せではありますが)、70年代初期アメリカ白系ポップスのピアノ・サウンドの、これが二大巨頭って感じです。

カーペンターズつながりで(と言えるほどの具体的なつながりもなさそげですが)、Delaney & Bonnie"Groupie"にもちょっと注目しておきましょうか。

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この録音でピアノを弾いてるのは作曲者自身だと思うのだけど(ソースなし。そんな気がするというだけ)、それがえらくかっこいい。レオン・ラッセル自身のアルバムでは、1970年の1st("A Song for You"が1曲目のやつ)のピアノは、わりと普通の音で(普通にかっこいいのではあるが)、その次のアルバム"And The Shelter People"(1971年)の方がかっこいいピアノが沢山聴ける、と私的には思います。

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セロニアス・モンク
1952年まではブルーノート。
1952年以降はプレステッジ。
1954年に仏ヴォーグ(ラジオ放送用の録音が後にアルバム化)。
1955年からはリバーサイド・レコード。
1962年からはコロムビア。
最終録音(1971年)は英ブラック・ライオン。

活動歴が長く(初期のはSPだし)、複数のレコード会社でそれぞれソロ演奏を残してるので、つまりスタジオごと、年代ごとのピアノ録音のされ方の違いを聴き比べるのに適してる(かも知れない)。プレステッジ期(とリバーサイドの大部分)はVan Gelder Studio。
コロムビア期はグールドがコンサート・ドロップアウトした時期と重なってる、という事に何となくの感慨を憶えたりもいたします。コロムビアでの唯一のソロ・アルバム("Solo Monk"1964年)はNYではなく西海岸録音。ちょっと残念。

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"More Stuff" 1977年
モンクもそうだけど、黒人ピアニストはタッチが強いよね。グールドはクラシック・ピアニストの中でもとりわけ軽い方の人(だと思う)。リチャード・ティーは、もし相撲取りになれば小結くらいまで行けそうな体格の持ち主で、そういう人ががんがん弾きまくるピアノとグールドが弾くピアノを、同じピアノという名で呼ぶのもいかがなものかな別世界感がございますけど、リチャード・ティー自身には、強く弾いてるという意識は無いのかも知れない。グールドのリズム表現は良いものだけど、「うねるような」グルーヴとかとは無縁で、そういうのはやはり重さとか圧力とかがないと生まれないのかも。その点からも、グールドがショパンに手を出さなかったのは正解だったのかも。

Stuffのアルバムは1stと2ndで、かなり音が違う。録音手順が、というよりアルバムの制作方針がぜんぜん違うような。
1stはきっちり管理された音。2ndはルーズで、一発録り的な成分が多め。1stのベースは卓直だけど、2ndはベースアンプにマイクを立てて録った音かも。
(私の持ってるCDのマスタリングが、たまたまそういう仕上げなだけかも知れませんが。オリジナルのアナログ盤は聴いた事がありません)
私的に、ピアノの音が映えるのは2ndの方だと思ってます。ローズ・ピアノやドラムは、1stの方がかっこいいかな。

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ジョージ・ウィンストン"AUTUMN"1980年
これは私、発売当時に聴いて、ピアノの録音方式がとても斬新で新鮮な音だと感じたのですが、今では取り立てて話題になる事もなく、このアルバムの録音技術史上での位置付けはどんなものなんでしょうねえ。マイクは近く、倍音を沢山拾って、フレームの中で弦が振動してうねってる様が伝わってくるかのような録音。でも重たくなくて聞き流しやすい音。
これの直後にFMピアノが大流行して、ウィンダムヒルのピアノの音の良いところは全部そっちに持ってかれちゃったのかも?

ウィンダムヒルよりかはECMの方が色々な点で重要な存在なのだろうなとは思いますけど、私はECMの音盤をほとんど聴かないものだから。かといってウィンダムヒルの方が好きなのでもない。自分が知った順番がたまたまウィンダムヒルの方が先だったから、こちらの方の印象が強いというだけかな。

ちなみに、キース・ジャレットの"Facing You"は1971年。チック・コリアの"Piano Improvisations"も1971年。

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Professor Longhair"Crawfish Fiesta"1980年
鰐音盤社によって録音された長髪教授の「ザリガニ祭り」。リリースされたのが1980年で、録音は79年。Prof.ロングヘアーはこのアルバムを録音して、何ヶ月もしないうちに死んじゃったんですね。
グールドのピアノの話しからの流れで、私にとって印象深いピアノ録音を並べてみて、グールドと言えば死の直前のゴールドベルク等が代表作、それでProf.ロングヘアーのこのアルバムを持ち出すのは牽強付会もたいがいなようですが、実際、どこか似たところがあるのですよ。音楽を突き詰めた先にある中庸と晴朗。そして子供のような無邪気さ。それらの奇妙な共存。似てるわけがない二人だけど、そういう共通点があると感じられるのです。

最後に、ピアノとは関係ない音盤ですが、多声部音楽の声部の絡み合いが偶然(のように)生み出す7thコード等の洒落乙サウンドの古い例として、

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The Medieval Ensemble of London/Peter & Timothy Davies
Josquin Desprez:Missa Di Dadi/Missa Faisant Regretz

ジョスカン・デプレ(1440〜1521)はルネサンス中期の人。現代人の耳で"Missa Di Dadi"とかを聴くと「おしゃれコード盛り沢山」な曲に感じられるのだけど、当時の人にとってはどうだったのだろうか?しかしルネサンス音楽がこのようなものであったのは16世紀初頭くらいまでで、その後の100年間はバロックへ至る単純化の過程であった。盛期ルネッサンスの、鮮やかな色彩のエーテルを玩ぶ万華鏡のような音楽をヨーロッパ人達が再び作り出すのは20世紀の新ウィーン楽派が登場して以降であり、それも大して人気があるとは言えない。音楽では概ね常に、美学よりもエンタテイメント性が優先されるのであろう。

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今回の2MIX最終仕上げレベル上げについて

 このブログにUPしてある音ファイルは、録音作業が終了し(つまり2MIXが終了し)、それをmp3に変換する時、ほぼ必ず何らかのレベル上げ処理を行います。用いるソフトは、たいていはTC|Native MAXで、Steinberg Magnetoを併用する事も多い(Magnetoは録り作業中からマスター・チャンネルに挿してしまってる事も多い)。

 なのですが今回はTCの、DEXというのを使ってみました。設定は以下の通り。

82x.jpg

 今回の作例のような、音数は少ないのにリバーブの足が長い2MIXをMAXで大幅にレベル上げさせると、リバーブの聞こえ方が不自然になりすぎるので、ならばレベル上げをほどほどに抑えるか、別のソフトを試してみるかの二者択一。今回のような「失敗作だけど一応UPしておこうか」程度の作例の時は、別のソフトを試してみる良い機会なのでもありますね。

posted by ushigomepan at 04:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 手放す機材の、お別れ記念録音 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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