2011年08月22日

【お別れ録音】Teisco EG-R & Teisco May Queen

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 EG-Rは1950年代のテスコ製ラップ・スチール。ボディは漆塗り。ヘッドには天然貝が象嵌されている。綺麗に丁寧に作り上げられた、米兵さんのお土産用楽器。60年代中期のエレキ・ブーム以降に大量生産されるようになってからのテスコとは、商品としての性格を全く異にする製品です。スケールは518mm(戦前ショート/リッケンバッカー型)。

■リード/バッキングとも、ギター・アンプはYAMAHA YTA-25/マイクはAUDIX D1

■リード=Teisco EG-R

■バッキング=Teisco May Queen / PUポジションはリア

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■2011年6月14日録音


 当ブログにスチール・ギターが登場するのは今回が初。

★どへたですけどね★

 でもべつにいいです。よかないですけど。日頃まったく練習してないんだから弾けなくて当たり前。しかし私は最近になってようやく、このスチール・ギターという楽器の「自分にとっての使いどころ」を見出す事が出来たので、今後は弾く機会も増えるんじゃないかな。私にとってのスチール・ギターとは、

・ハワイアンを奏するための楽器ではなく、
・カントリーのための楽器でもなく、
胡弓の子孫です。

ここで言う胡弓とは中国の二胡等の事ではなく、日本の胡弓。

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(この画像は川瀬白秋師のCD『胡弓の彩』VZCG-247のライナーノートから拝借したものです)

 外観は三味線のミニチュアみたいなもの。主として上方地歌で用いられる楽器ですが、越中おわら風の盆で見られるように立奏・歩きながら弾くのも可能なので、辻芸人が流し・門付けに用いたりもした。江戸時代にはわりと普及率の高い楽器だったようですが、明治期以降は急速に廃れ、今では目にする機会も滅多にない。しかし歌舞伎の下座で用いられる事は多くて、世話狂言の愁嘆場、とくに「縁切り」ともなると、忍び泣くが如きに奏される胡弓の、か細く頼りなげな音色が御簾から漏れ聞こえてくるのはお約束。
 胡弓とは、そういう場面に相応しい楽器、とまで言い切ってしまうのは正しくないけれど、明治期の演歌(壮士演歌)が大正期に変質し、男女の痴情を売り歌う辻芸へと軟化した時、その伴奏にバイオリンを用いるのが定番化した背景には、江戸期に用いられた胡弓の遠い記憶が作用していたようにも、私には思われます。

 大正期とはギターやマンドリンが普及し始めた時期なのでもあるけど、これらは主に都市部の裕福な学生が手にするもので、モダンで、洗練された都会的なイメージの楽器。萩原朔太郎が詩の題材にするような楽器(大正3年「ぎたる弾くひと」)。

 金属弦を張る撥弦楽器としては、明清楽(中国の音楽)で用いる月琴等が江戸期以来、かなり普及していたらしい(日本人の明清楽家元も存在した)。しかし明治27年の日清戦争開始後、これは急速に廃れ、以後しばらくの間、日本国内でこのタイプの楽器音が聴かれる事はなかったとすると、ギターやマンドリンの、アタックの鋭い金属質の音色は、当時の人から非常に新鮮な驚きを持って迎えられたのではないかと推測されます。例えて言うなら、1983年にヤマハがデジタルシンセ・DX7を売り出した時のようなものかと。

*)日本で、クラシック・ギター用ナイロン弦が普及するのは昭和4年のセゴビア初来日以降。それまでは金属弦を用いていた。

 バイオリンはその頃、既に日本の音楽風土にけっこう馴染んでおり、スズキ・バイオリン社による大量生産も明治30年代に開始されており、価格的にはギターよりずっと安い。小型で持ち運びに便利。音量もある。辻芸には最適の楽器です。だいいち、洋楽風の和声で伴奏されるスタイルの流行歌、つまりギターで伴奏されるべき流行歌など、この時期の日本にはまだほとんど存在していないのだ。

 バイオリンという楽器に対して「思い入れ盛り沢山でウェットに奏するもの」という固定観念がある時期に定着した事が、その後現在に至るまで、日本人によるバイオリン演奏、ひいては日本の洋楽演奏家全般のスタイルに対して悪しき影響を与えてるなどとして、「西洋音楽の正統たる後継者・信奉者」と自認する御仁は眉をひそめたりもするかも知れないけれど、そもそもバイオリンの本場ヨーロッパでこの楽器の演奏スタイルを作り上げてきた主力はロマとアシュケナジなのであって、それを東洋東端の高温多湿な気候風土にローカライズしてみたところ、思いっ切り涙もろいものが出来上がってしまったとしても、その方向性はぜんぜん間違ってないと私は思うよ。


 みたいな話しはともかくとして、つまり私にとってのスチール・ギターとはハワイアン的な、楽園コンフォートなイメージとはまったく異質な存在で、胡弓→(大正演歌の)バイオリンという流れの延長線上にあるものなのです。

という事に気づくのに20年かかったのよ★
私が最初にスチールを弾きたいと思ったのは1990年代の初め頃ですから。

 ちなみに、最初に買ったスチール・ギターもテスコでした。たしか型番は6Dとかそういうの。とっくの昔に売却済み。スチール・ギターは、音域やフレット・レスであるという点が胡弓やバイオリンと共通だし、撥弦楽器としてはサスティンがわりと長い方でもある。というような事よりも、イメージの問題。私がスチール・ギターを手にすると、どうしてもウネウネニョロニョロと弾いてしまうんですね。正統派ハワイアンの教科書では、まずそれを禁ずる。しかし私はウネウネ弾きたいお。クドくてネクラで陰湿な、しかし美しいものをこの楽器で表現したい。音楽的な良し悪しでいったら、まあそういうのはあんまり良くないのかも知れないけど、しばらくはこの方向性でなにしてみようと思ってまっさ。という事でまず弾いてみたのが古賀メロディ。

 この曲のイントロは三味線音楽の雰囲気をギターで表現しようと意図して作られた、というのはよく知られた話しですけど、自分が三味線を弾くようになってから、それが本当によく分かるようになりました。このイントロは良く出来てるというか、すごく面白い。
 三味線音楽といっても色々あって、具体的には清元の三味線をギターに移し替えたのが「影を慕いて」のイントロなんだそうです。ただし、古賀政男がこの曲を作った頃(昭和初期)の清元とは、寄席にも出てた頃の清元。つまり大衆芸能の主力を担っていた頃の清元で、現在の、ずいぶん格調高く立派になって、しかし歌舞伎座の外にはもう活動の場所がなくなってしまった清元とは別物と捉えるべきであろうと思う。

(つまり、「影を慕いて」のイントロの元ネタが清元だよと知って、現在の歌舞伎座で演ってる清元を思い浮かべると、それは微妙に違うんじゃないかという話し。)

 現在の三味線音楽の中から、その「寄席に出てた頃の清元」に多少なりとも近いものを挙げるとするなら、それはやはり新内って事になるんでしょうけど、どちらも豊後系浄瑠璃だから、形自体の共通点は多い。ただ「気分」が異なる。

 それで、ギターから三味線へという経緯で音楽をやってる私がこの曲を弾くに際しては、古賀氏の意図を歴史的にもう一巡させてみたいという欲があります。つまりギター上に移し替えられた三味線性を再度強調し、「洋楽化された三味線音楽」を「三味線化された洋楽器演奏」という方向に再転換させてみたい。これは自分にとってけっこう重要なテーマなんだけど、なかなか上手くはいきませんな。今回の録音は試作品第一号という事で、これは折りに付け作り直していきたいと思ってます。今回のは★タメすぎ★という感想があって、ちょっと反省。


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 私、このEG-Rは自分用のも一本キープしてあるんです。だから、そのうちスチール・ギターがもっと上手く弾けるようになったら、これのちゃんとした作例も披露出来るのではないかと。

posted by ushigomepan at 04:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 手放す機材の、お別れ記念録音 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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